
文・写真 Toshiki Minamiguchi

得意と不得意は誰にでもあることだけど、そんなことは本来はどうでもよいことなのだ。
たとえば、正確さを求めるなら、自動車を使うよりは電車を利用したほうが時間どおりに目的地に着くことができそうだ。けれどもクルマだったら中で上着をぬいだり、カバンを置いたりできるし、音楽をヘッドフォンなしに好きなだけボリュームをあげて聴くことだってできる。
ただ渋滞に巻き込まれることもあるので、どっちもどっちだ。
風をきって走るという形容があるが、風は、とおり抜けできるから、われわれは風をきって走ることができるわけで、これが風でなくてビルだったら、とてつもなくすごいことなってしまうのではなかろうか。
「彼は、風をきって走った。」ではなく「彼は、ビルをきって走った。」では意味がわからない。
じゃあ、意味が通じるようにと「彼は、ビルをぶっこわして走った。」でも、ますます不自然になってしまうだろう。
彼ってどんなやつなのだろうかと、そこに非現実的な男(やつ)の存在を想像することになる。なんだったっけ。
そう、風は、とおり抜けできる。逆に風の方だってその特性をいかしてビルのすきまをぴゅーととおり抜けられるし、陸橋にぶつかったとしても自身を分散させて前へ進むことができるのだ。ただし、そんな風でも、コンビニのレジ袋はどうも苦手のようだ。
われわれは風をとおり抜けることはできても、風自身はとおり抜けられないものがあるということが、コンビニのレジ袋が証明してくれた。
もちろん、風の力が強すぎると、袋なんてやぶいたり、吹き飛ばしたりできるし、私なんかもいっしょくたにふっ飛ばしてしまうことだろう。まるでゲイラカイトのように空高くへと。
「彼は、風に連れ去られた。」というふうに。
もしそうなったとしたら、たいへんなことだ。なぜなら、私は、飛ぶことも高い所も不得意だからだ。ほんと、どうでもよいことだけど。
Right, there is nothing. #22 2010.1.18
